先日、今野敏さんの本で宗棍を読み義珍の拳も10年振りくらいに読み返したのですが今回の武士猿も義珍の拳と同様に10年振りくらいに読み返してみました。
今回は第一章から第十章まである中で、5点をピックアップしました。
- 負けを知る
- 示現流
- 飛び入り試合
- 講道館柔道
- チャンピオン
個人的には第一章の、(負けを知る)の章が1番肝心だと思っています。
負けを知る
しかし、ある時に同門で名がある使い手に出逢い完敗します。
そこから更に手の実戦修行に力を入れていき『真の強さとは何か』を追求していく物語が面白く描かれています。
順番や時代的には義珍の拳の後に、この武士猿を読むとより面白いと思います。
最初から熱いですが、主人公の朝基は沖縄の手の歴史を背負って武士の誇りのために実戦し継承してきた1人だと思います。
沖縄の手=日本の伝統文化だと思いますので人生の中で自身が熱くなれて生涯を通じて向上する手段がある方は素晴らしいですね。
示現流
その昔、薩摩藩が沖縄を支配していた時代がこの章では描かれているのですが、薩摩の武士は示現流という剣術を身に付けていました。
刀を持つ相手に対して主人公の朝基の手は通じるのか?という所が、見どころでもありますが。
現代で例えてみると日本刀を持った剣術家に、素手で戦う空手家をイメ-ジする感じですが時代背景の違いはあるにしても考えられない対戦と言えますね。
しかしながら、そこに昔の武士の心が見られ戦わずして勝つの境地へ向かう修行への道は実戦を通じて培われてきたとも感じられます。
この本の中では、刀を持つ相手に対しての無刀取りや戦わずして勝つというよりは主人公の朝基が実戦修行を繰り返していくところが詳細に描かれていますが本物の武術空手や武の歴史に興味がある方にはオススメの1冊です。
飛び入り試合
この本の中で主人公の朝基は何度も沖縄の武士の誇りを取り戻すためと書かれています。
ちなみに2つに分かれた事実というのは沖縄から本土へ伝わった空手が本物か偽物かの2つです。
良い方は悪いですが、本物とは600年の歴史を持つ型を現代でも継承して継続されている空手が本物でスポーツ空手で形骸化された型をやっている空手は沖縄の手を継承されてきたものではないという事です。
この章では主人公が西洋のボクシング選手と飛び入り試合をするところが面白く描かれています。
格闘技やスポ-ツ武道をされている方々や格闘技ファンにはオススメの章です。
ここで私がもうひとつ伝えておきたいのは、沖縄の本物の手は年齢を重ねるごとに向上がありますがスポーツや格闘技には年齢を重ねてからの答はないという事。
言うなれば格闘家や選手は、選手としての遺産を持ち引退後は指導者になるのが答で生涯現役ではないという事ですね。
講道館柔道
根本的には本物を伝えていこうと指導に当たった部分は変わらなかったのかも知れませんが、やはり本物の手を実戦を通じて修行してきた朝基と型を中心に実戦経験のない義陳との差は大きかったと思わせるところがあります。
朝基は、この章でも西洋化に拍車のかかる大学生の柔道家と立ち合う場面があり実戦を通じて義珍の空手を学ぶ学生と本物の手を形にしてきた武術家との違いを証明します。
正に今現代でも、本物の手を知りたい方やスポ-ツ武道や格闘家やスポ-ツ競技者などに読んでいただきたい部分ですね。
チャンピオン
最後の章では、主人公の朝基は還暦を迎えているのですが、沖縄の手=本物の武術とは今後まだまだ強くなると語っています。
私は、その昔に競技空手をやっていたので試合のために稽古をしていましたが、試合に勝つためだけに稽古するのは違うと思っていました。
若い時は良いですが、年齢と共に若い生きの良い者に体力も筋力も持久力も敵わなくなっていく加齢に対する答がないと悩みました。
しかしながら、この本の中で観た主人公の朝基と同様に現実に本物の武術空手を知っている師匠との出逢いが私を変えました。
本物の師匠との出逢いが重要ですが、この本の中でも書かれている様に学ぶ側の心の在り方が最も大切な事であるとも思えます。
武道経験者や格闘家やスポ-ツ選手のみならず、全ての日本国民に対して今の時代だからこそ読んでいただきたい1冊だと思います。
まとめ
先にも述べました【宗棍】や【義珍の拳】と同じく、今野敏さんの本の中でも非常に事実に近い小説で永久保存版としてオススメします。
400ペ-ジくらいあり長編ですが、読んでいくと引き込まれるように面白く、次はどうなるのか?
といった気持になり、アッっという間に読んでしまいます。
最後に5点の感想を繰り返し紹介します。
- 負けを知る
- 示現流
- 飛び入り試合
- 講道館柔道
- チャンピオン
この中で私が1番、面白いと思ったところは飛び入り試合です。
主人公の朝基の名が多くの人に知られるキッカケとなっています。
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